紅玉いづき「雪蟷螂」

雪蟷螂 (電撃文庫)

雪蟷螂 (電撃文庫)

人喰い三部作の第三弾。2009年とちょいと昔のものですが、べにたまさんの作品はゆっくりと追いかけています。人喰シリーズ(?)第一弾と第二弾の感想については↓参照です。

愛することって何?と考えて、考えて、考え抜いた末に到達した答えの一つ。

愛することは、人のすべてを受け入れること。すなわち、人を喰って。最後まで食べきること。これが、厳しい雪山に住まうフェルビエの女たち。狂うように愛する彼女たちの物語。

読んでいるとわかるけど、ただの異族間の部族長同志の恋なんて生やさしいものではない。フェルビエのアルテシアも、ミルデのオウガも。

アルテシアは、魔女のところに行き、愛を知る。自分にとって足りない物が、相手を愛すること。ただの戦争行為の延長として、房術として、嫁ぐことを理解していたのではなく、愛すること。フェルビエの女として、嫁ぐ先のオウガが、自分の恋する相手(すなわち、食らう相手)としてふさわしいか悩み続ける。だした答えは、蛮族のフェルビエの女として剣で決める。

他方、オウガも愛することに忠実。母親を裏切り、フェルビエの女・ロージアに対して愛情を持っていた父・ガルヤに対する怒り。母のために怒るもの。ロージアの腕を肌身離さず持っていたガルヤは、戦勝の証として持っていたのではない。愛情の証としての、片腕。それを受け入れるロージアの強さも、喰らいたいほど憎むことが愛することだと自覚できたロージアの勇気も、やはり、フェルビエの女であった、と。

ガルヤの本性を知り、愛に忠実であることを理解したルイ。結局のところ、女としての幸せを考えたら、この組み合わせが最適かもなー、と。

この小説、ちょっと地味だけど「愛すること」に対する回答の一つだと思う。ロージアも、死期を悟り、愛する人と死にたいことを願う。家に帰るまでが遠足ならば、人が死ぬまでが愛。喰らうこと、殺すこともあれば、生かすことも。まさに生殺与奪をお互いに行うもの、というのも愛するがゆえに、と。