滝川廉治「テルミー きみがやろうとしていることは」

テルミー きみがやろうとしている事は (スーパーダッシュ文庫)

テルミー きみがやろうとしている事は (スーパーダッシュ文庫)

本屋でふと手にとった一冊。2010年に出たもので、最近続刊が出たみたいですね。

読みきった感想としては・・・・地味。だけど高く評価される作品になってほしい、というもの。隠れた名作というべきじゃないでしょうか。内容紹介も兼ねて、ちょっと作者のインタビューを引用しますね。引用元はスーパーダッシュ文庫のウェブサイトです→http://dash.shueisha.co.jp/interview/1007.html

この物語は、二十六人の高校生の死と青春を描こうとしたものです。 物語の冒頭、修学旅行のバスが転落事故を起こし、二十四人の学生が死亡します。その最期の瞬間、二十四人の生徒が抱いた強い心残りが、一人の女子生徒・鬼塚輝美さんの体に入り込んでしまいます。
 鬼塚さんは、心に住み着いた二十四人の想いとそれぞれの才能を受け継ぎ、偶然バスに乗れず助かった男子生徒・灰吹清隆くんと一緒に、「二十四人の最期の夢」を叶えていきます。
 注目してほしい点、といっては生意気ですが、特に気をつけて書いたのは、死亡した一人一人が持っていた「一つの世界」をきちんと伝わるように描く事です。音声、匂い、痛み、喜び。確かな「手応え」のある本を目指しました。上手く伝われば幸いです。

死んだ人が持っていた最後の願いを叶えていく。でも、それは死んだ人そのものに成り代わることではない。成り代わることは、傲慢で残酷。生きている鬼塚輝美は、死んだ湯坂絵里の代わりには、ならない。絶対に無理。だから、湯坂の母親に料理を振る舞うことは、仮初の癒し。

私にできることはひとつだけです・・・・・この世界に湯坂絵里さんがいた。彼女は貴方の娘として生まれ、貴方のことを心から愛し、最後の一瞬まで貴方への愛情と感謝を抱き続けていた。・・・・それが彼女の真実です。

これを伝えるだけ。湯坂絵里はもう死んだ。戻ってこない。残った人は死んだ人を、思うだけ。

ああー抉るなー。誰かが死ぬと「死んだあの人も〇〇のように思っているはずだよ」ということって、よくありますよね?これは死んだ人の最後の願いを届けることができる状態だと思えば、一番近いかも。そうなったときに、自分ならどうこうどうするか。


死んだ人を思って後追い自殺をする?


バス事故で死んだ檜山蘭を追いかけて、後追い自殺をした遠山円華。

死んだ人にはもう何もしてあげられない。キミが本気なら、相手がまだ生きているうちに、やれることがたくさんあるうちに、自分の気持ちをきちんと伝えたほうが良い

残されたもう一人。凡人の佳奈。

円華が、蘭に叫ぶ。

どうして蘭ちゃんが死ななきゃいけなかったの?どうしてこんなひどいことがおきるの?どうして?

人が死ぬことは周りの人にとっても喪失。だから言いたくなる。どうして?、と。

その回答は、人間的成長だったり、試練だったり、運命だったり。しかしどれも、人間が精神的癒しを実現するために創りだした回答。答えは何もない。ならば、「どうして」ではなく、「どうする」かに変えなければならない。

あー、ここのところは読んでいてぐさりときましたねー。この本のテーマは人の死。「どうする」を考えると、残されたひとは不幸にはならない。その意識転換はものすごく難しいよなー。悲しみに打ちひしがれているとき。だけど、その意識は幸せになるんだ。これは最初の予告どおり。

丁寧な情景描写が読者を誘う。230頁と薄い方なのにじっくりと腰を落ち着けて読む。だからこそ味わいがでてくる類のもの。

いやあ・・・・・本当にこれ良い本だった。表向きは静かに、でも心のなかでは滾りながら、野辺送りをしているような本でしょうか。ふと手にしたもので大正解。書店めぐりって楽しいですねっ