野村美月「文学少女と恋する挿話集3」

“文学少女”と恋する挿話集3 (ファミ通文庫)

“文学少女”と恋する挿話集3 (ファミ通文庫)

文学少女の本編を読んでいて感じること。相手を、暗い《絶望》の淵に叩き落としながらも、ほんのわずか、1センチだけ、希望の光を当てる。あるかどうかわからない光だけど。

これが本編の感想なら、今作は、わずかに当たった希望の光が徐々に大きくなる物語。

  • まずは毬谷。

7年ごとに上陸し、恋人を探すさまよえるオランダ人。何かが見つかるかもしれない。かつて、水戸友歌の喉を潰し、最後には殺害し、それが遠子先輩に暴かれ、絶望の淵に落ちた毬谷だけど、ほんのわずかずつだけど、希望の光が膨らんでいる。

  • そして、竹田千愛。

「死にたがりの道化」の続編。周囲が可愛いと言う赤ちゃんを見ても、実際に抱いても、何も感じない竹田千愛。でも、それでも、道化を続けていけば、本物にたどり着けるかもしれない。僅かな希望を持ちながら、過ごしてきた竹田千愛。
その希望は、生徒にそこはかとなく伝えている。自分が実践できないと悪戦苦闘しながら隠して。ライ麦畑の端にある崖に落ちそうで、捕まえて欲しいのは、仔鹿ちゃんだけじゃなくて、竹田千愛かもしれない*1

竹田千愛は、生徒が死のうとしても、何も感じない。内臓が破裂して、ぐちゃぐちゃになっても、何も感じない。悲しいという感情がない。

だけど、その道化の状態でも、生徒を助けようとする。うーん、それは感情というよりも脊髄反射、本能みたいなレベルなのかなぁと私は解釈した。だから、流くんとの間に子供を作ろうとすることを決意できたんじゃないかなぁ。つまり、子供をつくる、そして子供をかわいがる、という行為はあくまで本能的なもので、生まれつき備わっていることを自覚できた。・・・いや、生まれつき備わっていることを十分に期待できると感じられた。だからこそ、「赤ちゃんを見ても可愛いと思えるかどうかわかない」という最初の不安を打ち消すことができたんじゃないかなぁ。最後の竹田千愛が流くんと抱き合うシーンは、竹田千愛の成長が感じられて、そして、今まで恥ずかしいと思っていた「道化」が克服できたかもしれなくて、思わず良かったぁ・・・と放心してしまった。

・・・ところで、私は男性なので、出産をするという行為は眺めることしかできない。お腹を痛めて出産する、という女性の決意を題材にする発想が、どうもできない。馴染まない。このあたりを読んでいて、野村美月さんはやっぱり女の人なんだなぁ、と思った。


今作を読んで思い起こすのが、文学少女見習い・日坂菜乃ちゃんの言葉。

わたしはハッピーエンドを信じてる。運命がどんなに苦難を用意しても、あきらめずに乗り越えて、二人はいつまでも幸せに暮らしましたーそんな風に終わる物語もあるって

感想はこっち→http://d.hatena.ne.jp/yusuke22/20090503/1241361064

登場人物が絶望に落ちたままの救いの無い物語だけじゃない。その物語の結末に満足が行かなかったら、続きは読者が考えればいいじゃない。感情移入でき、身近に感じられた登場人物だからこそ、最後は幸せになって欲しい。文学少女の本編に登場する人たちのハッピーエンド。読者たる私は、信じていい・・・んですよね?ねっ?

*1:どうでもいいけど、大学1年生の時にサリンジャーを読んだことがあるんですが、英訳のアホさ加減に途中で放棄してしまった記憶しかありません。それ以降、海外小説の翻訳は苦手。いくつか試してみたけどダメ。むしろ原書で読めばいいだろ!って思っています。でも、ひょっとしたら、仕事で翻訳には慣れている今なら読めるかもしれない。あ、私は翻訳家ではありませんよー。仕事の一環として海外のモノを翻訳することもあるだけです。