ヲタクとしての矜持

http://d.hatena.ne.jp/FXMC/20090515/p1
http://d.hatena.ne.jp/FXMC/20090518/p1
とくめーさんに反応してみる。私が記事を読んだ印象では、とくめーさんは、「ヲタクはヲタクとしての矜持を持つべきだ」と思っているはず、たぶん。そして、その立場には賛成。

一つの作品をしゃぶり尽くす気概。
あー、これ、わかるな。自分の個人的経験に即して応答すると、一つの作品をしゃぶりつくす気概は、インターネットというものがなく、ビデオテープでいちいち録画していた*1小学生、中学生、高校生のとき、つまり、なんらかの制約状態にあるときに、強く生じていたなー。
エヴァンゲリオン放送当時、碇シンジ君と同年齢のエヴァ直撃世代なら、今が当時と比べて選択肢が異常に多いことをわかるはず。それは、大人になって金銭的余裕ができた、というだけではなく、ネットという便利なものができたという意味も込めて。
自分は、選択肢が制約されているからこそ、楽しみを一つの作品の徹底的な追求に求めていた。ドラクエ3は何回クリアしましたか?そのうち限界への挑戦として勇者と遊び人だけでクリアしようとおもいませんでしたか?ドラクエ4で、アリーナ、ライアン、勇者、トルネコという超攻撃的変則パーティでひたすら突き進むという修羅の道を経験したことがありますか?久美沙織の小説は何回読みましたか?ドラクエ4の四コマ漫画を読んで、自分で小説や漫画を描いてみましたか?ゲームブックは手垢がついてボロボロになるくらい、遊びましたか?今のヲタクからみて、90年代アニメは新世紀エヴァンゲリオンですか?NHKアニメの名作をを覚えていますか?「ふしぎの海のナディア」は何回見ましたか?地味だけど名作「モンタナ・ジョーンズ」を覚えていますか?

「大量に投下されるコンテンツを消費すること=ヲタク」という図式が形成されている現在のヲタク。
今の自分はこの流れに乗せられているかもしれない。過去の自分は、選択肢が制約されているからこそ、選択肢の中で徹底的にしゃぶりつくそうという気概があった。回りがどうかなんて関係がない。そういえば、中学生のときも、高校生の時も、大学のときも、自分はヲタクとしての矜持をもっていた。
果たして、今の自分はどうか。ただ消費しているだけじゃないか?とくめーさんの記事を読みながら反省。ヲタクとしての矜持が失われていた自分を自覚できた。その意味で、今でも自分が一つの作品をしゃぶりつくしているとして、矜持を持てるのは、「北斗の拳」ヲタクだけかもしれない。

*1:Gコードなんて便利なもんはあとからできた時代