追悼・栗本薫

yusuke22にとっては、魔界水滸伝の人、というイメージ。小〜中のときに図書館で借りた、と記憶している。申し訳ないが、話は全く記憶していないが。母親が中島梓名義のエッセイ集を持っていて、実家でベットに転がりながらダラダラと読んだと思う。これも多分中学生のとき、かな?あと、異様に筆が早いオバちゃん、というイメージだった。遅筆をネタにする某作家と違って・・・

時をだいぶ経て、去年の3月に北京・上海を、とある業務兼旅行で行った時に持っていたお供の一冊がこれ。

時の石 (1983年) (角川文庫)

時の石 (1983年) (角川文庫)

ブックオフで気ままに選んだ一冊だった。当時、某所で書いていた読書感想文を読み返すと、「生きるということは、忘れるという死者に対する驕りである。 」と一言だけ。
私yusuke22は、今後、事故や病気など、よほどのことがない限り、生命が維持するという意味で、生き続けるだろう。その中で、栗本薫のことを忘れるかもしれない。現に、小学生、中学生の時のことはすっかり忘れている。それは、今、生きているyusuke22の、死んだ、そして過去になりつつある栗本薫に対する驕りである。
しかし、私はここに記憶しておこう。少なくとも、今現在の私は、死者たる栗本薫のことを改めて記憶し、今後も記憶しようとしているのだ、と。そして、彼女を忘れることは、生者である私の驕りを自覚した、ということを。

・・・今日も酔っ払いながら記事を書いているから支離滅裂だけど。それでも。栗本薫に対する追悼の意思は、それだけは、本物です。あの世で、ゆっくりと暮らしてください。作家は死んでも、作品は残ります。貴女は、全国の本屋で、全国の図書館で、全国の本棚で、生き続けるのです。