桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人』

よし!金曜日にオタクショップに寄れそうだっ!!

さーて、感想。桜庭一樹。一般書店で購入するよりも、大学生協や大学で併設されている本屋で買った方が安く買える。意外と一般向け小説も揃っているから侮れません。安くなるといっても、微々たるものだけど、場所によっては10パーセント割引だからなー。まとめて買うと結構お得。今回の桜庭一樹は、偶然だけど、某大学で買えたモノ。

少女七竈と七人の可愛そうな大人 (角川文庫)

少女七竈と七人の可愛そうな大人 (角川文庫)

これを彷彿させる、感想書きにくい作品だな〜。ところどころに印象に残るシーンは散らばる。でも、一冊全体がわからない。むー、それって、この一冊で作者は何を伝えたいんだろうと思いながら読んでしまう自分の読み方がおかしいのかな・・・

敢えて言うと、七竈の成長なんだけど、表現が陳腐過ぎて自分でも嫌になる。
旭川という小さな町に残る雪風と、都会に出て、自分の存在を見えにくくする七竈。同じ美貌を持つが故の、生き方の違い。だって、雪風は残る理由はあるけど、私生児の七竈には残る理由がない。小さな町では、生きにくい。

女の人生ってのはね、母をゆるす、ゆるさないの長い旅なのさ。ある瞬間は、ゆるせる気がする。ある瞬間は、まだまだゆるせない気がする。大人の女たちは、だいたい、そうさ。(248頁)

小さな町では、生き方は行き止まり。だけど、それも「やわらかい行き止まり」(朝は戦場)。もちろん、旦那が寝取られた場合もあるけど(「死んでもゆるせない」)。
そんな小さな町で、同級生の雪風が異母兄弟であるために、生活する理由を持たない七竈。
ああー、東京に行くのは、やっぱり母親の生き方を否定するためなんだなー。母親の河村優奈も、母親の生き方を否定するためにいんらんになったわけで。これもある意味、母親による校則。ん、なんか「拘束」と出したくて誤変換になったけど、意外とこの説明はあっているかもしれない。母親視点で見れば、拘束されている間はやっぱり小学生や中学生みたいな位置づけなのかなー。