小林多喜二「蟹工船」
- 作者: 小林多喜二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/06/14
- メディア: ペーパーバック
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かなりの周回遅れでブームに乗る男・yusuke22です。さて、本屋をうろついていて、ふと目に止まったので購入。
資本主義とプロレタリアートの対決、というマルクス主義は現代では否定されたものの*1、マルクスが残した遺産は大きい*2。昨年、この本がブームとなった理由は、同書が資本家による労働者の使い捨て現場を暴いているから。これも、いつ我が身に振りかかるのか、と考えてみれば可能性は否定できない。私の働いている業界でも、高齢層に比べると、若年層の生涯賃金は低いと見込まれているからなー。若手〜40歳以下の中堅未満を使い捨てしている、という批判はあるんだけど、構造的に改善されていないし。
さて、普段から賃金抑制するしか能がない経営者は死ねばいいとは思ってはいるんですが、別に政治的なパンフレットをこの場で展開するつもりはないので、この辺として。小説の中身についてコメントします。
以前、半分仕事、半分観光で小樽に寄ったことがありまして、小林多喜二の碑を思い出しながら読んでいました。ストーリーとしては、前半に、純粋な船舶でもない、かつ工場法の適用も受けない、蟹工船で働くプロレタリアートの悲惨さを描く。後半は、革命の気運。最後は、革命は失敗するものの、夢を持たせることで締め。プロレタリアートを酷使していた監督の浅川でも、資本家に首を切られる。
前半の、蟹工船の悲惨さが、方言を通してリアルに迫ってくる。映画やドラマなどの映像では再現出来ない。彼らは、文字通り、「人間」としての待遇を受けていない。すべてが経済的合理性を優先。帝国の名のもとで、一握りの資本家のために経済開発が行われている。労働者は、現場ではモノ。何も余暇もない。虱が湧いても、怪我をしても、たとえ死んだとしても、モノとしての扱い。生産するための機械に過ぎない。
まー、これがホントにあったかどうかは別として、読み物としてみれば、興味深い。現場での凄絶さが、多喜二の筆致で頭に焼き付いてしまう。これはこれで面白かった。