森見登美彦「新釈走れメロス」

新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)

新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)

さてさて。森見登美彦さんの小説。四畳半神話大系もアニメ化するし。記念に買ってみました。山月記、藪の中、走れメロス桜の森の満開の下、百物語と、過去の名作を京都を舞台にしてリメイク。

以前読んだ「夜は短し歩けよ乙女」とも舞台は同じく京都。ただ、「夜は短し歩けよ乙女」はコメディタッチで、最後はハッピーエンドだったのに対し、今回はなかなか笑えなかったなー。帯には「日本一愉快な青春小説」ともあるけど。確かに走れメロスのところはコメディ風味のテンポの良い文体で笑えるんだけど、他の作品については、斎藤秀太郎という人間の存在をどう見るのか、による。

斎藤は、山月記リメイクの主人公*1。正確に言えば、山月記+文字禍リメイクか?文字を読んでいると何を言っているのか、何を意味しているのわからなくなってくる話。

斎藤は孤高の小説家志望者。自分に妥協せず、他人と切磋琢磨するよりも、ストイックに自己陶冶。他人との交わりは弱い者の証。貧乏生活も耐え、麻雀で稼ぐ。他人を罵倒し、優越感を確認。確かに、このような生き方をする人って、普通の人からすれば「変な人」として一笑に付される存在だし、その意味では、変わった人、可笑しな人ということで、「愉快な」青春小説と言えるかもしれない。

斎藤の小説は、常に佳境で執筆中の小説。小説の求道者といえば、風貌もそのとおりかもしれない。その一方で、斎藤の周囲は大学を卒業、あるいは修士を修了。就職し、社会の歯車となっていく。親友だった永田は、博士号を取得し、成功を収めていく。

斎藤は最後は大文字山に住む天狗になってしまう。他人から評価を受けることを極端に恐れた「常に執筆中の大作」。「天狗」というのは文字通りの意味。自己評価が過大となってしまった結果、他人からの評価を恐れてしまったんだよなー。だって、他人から評価されると、自分が創り上げてきた世界が壊れてしまう恐れがあるから。あるいは、壊れないために、他人に評価される場合には「保険として」手を抜いておく。手を抜いておくと、「あれは手を抜いたもの」だから否定されても自分は傷つかないんだから。結局、斎藤は小さな世界で閉じこもってしまっただけ。斎藤はこの短編集の中で随所に出てくるんですが、最終的には救われないんですよね。

求道者たる斎藤秀太郎。天狗になってしまったことで自分が今までやってきたことに気付いたけど時すでに遅し。結局、斎藤は、「底抜けの阿呆」のまま。確かに、この生き方はカッコいい。でも、それだけではダメ。怖くても、他人と交わって切磋琢磨しなければ。斎藤は他人を罵倒、叱りつつも、自分を認めて欲しいと思っている。でも、それが出来ない。だから、山月記の本家主人公は虎になるし、斎藤は天狗になって外から出られなくなる。人と交われなくなってしまう。切磋琢磨が出来ない。斎藤が救われることはないまま、終わってしまう。

斎藤は「桜の森の満開の下」でも登場。売れっ子作家になった後輩を見捨ててしまう(186-187頁)。この時の斎藤は、自己を維持するために後輩を自分の世界から切り離したんだろうなー。でも、求道者的な側面がない小説家ってなんか面白くない。不満がない作家の書いたものって、なんか味気のない感じがしていてつまらないもんなー。だから、この後輩に対しても斎藤の気持ちはわかる。作者なりの自己の将来への反省なのかもしれない。

うーん、実は私、文系のくせに修士にまで行った人間でして、理系だと大学院進学率は7〜8割越えだと思いますが、文系だと割と珍しい。文系大学院なんて最初から奇特な人しか行かないんですよ。奇人変人度合いは学部よりも高かったですね。で、大学院だと斎藤みたいな求道者タイプの人間が結構いたんですよね。特に博士課程の先輩たち。大学院で出会った人間の中で凄かったのは、某大学の数学科の修士課程まで進んで、某大学に学士で入り直して、そのまま修士課程→博士課程と進み、哲学で博士号取得した人。年齢も40歳くらいだった。2回くらいしか喋ったことなかったけど、もうなんというのか、住む世界と頭の構造が違っていた。

だから、斎藤みたいなタイプを見ると、大学院の時に周囲にいた人たちを思い起こすんですよ。孤高の研究者。博士論文がいつまでも完成しないまま40歳代後半を迎えてしまった先輩とかね。いわゆる、ちょっと話題になった高学歴ワーキングプアや余剰博士ですよ。そういう人だともう助教授よりも年齢が上だったり。なんかなー、随所に出てくる斎藤の立場を見ると、やっぱり最終的には成功して欲しいな、と思う。全体としてコメディタッチな分だけ、救いがないから余計に惨めさが深刻化するんですよね。だから、私のこの本に対する評価は、たぶん他の人よりも違った視点で評価することになってしまいます。他の人は「あー、変な人で面白いー」となるかもしれないけど、私にとっては斎藤の辛さが救われないままで、なんとなく後味が悪い。

*1:この前、山月記を読み返していたのも、この作品のためでもある。