「このライトノベルがすごい!」が非難されるべき理由と私家版「このラノ」

多少表現はきついところがあるかもしれないが、ブログ主の主張には賛同できる点が多いので、以下引用します。もちろん、以下の引用箇所は、私というフィルターを通しているので、ブログ主の意見については原典を当たって確認して下さい。原典はこっち→http://d.hatena.ne.jp/kyaputen_ryota/20101117

基本的に読書は楽しむためにするものであり(専門書、学術的活動ではなくエンターテイメントとしての読書のことだが)、より楽しめる本を見つけるものであり、ベストセラーなどを読んでいても絶対にその目的は達成されない以上ベストセラーなどを読む人間というのは読書をして「あれ読みましたか」「よかったですよね」などという単なる話題の一つとして扱う、私は本を読んだ後語り合うことを否定はしないが語り合うために読むのはちょっと違うんじゃないかと思う。

 また基本的にラノベをはじめ小説、マンガ、アニメ、映画など創作物の類は自分一人で楽しむものであり、別に複数人で鑑賞することを否定するわけではないが、風評や売上げによって鑑賞する作品の幅を狭めることは自らの人生最高の作品に出会う可能性を喪失させる愚行であると言わざるを得ない。もちろん有名な作品を鑑賞する何人もの人間により話が盛り上がったりするわけだが創作物を雑談のネタにするような人間はつまり雑談する相手がいるわけだがそんなリア充は創作物の世界に浸かったりせずにセックスでもしてろよ日本の将来のために。

作者が世界一だと思っているならその作品を世界一だと思う人が他にも必ずいるはずである。だから私は全ての創作物の制作者にはオナニーでも売れ線から外れてるでもいいから自らの考える最高のものを創ってほしいと思う。(もちろん受け手としては作者より「私の」最高の作品を望むわけだが。しかし「最高」ではなく「売れるため」に作った作品が私の「最高」になる可能性は限りなく低い、はず)

売れている作品の中には自分の趣味と合うものがあるかもしれないが、売れているから読むという行動については私も基本的にはしませんね。例えば、売れている作品ということなら、とある魔術の禁書目録ですが、私、読んだこと無いんですよ。ライトノベル感想ブログを運営しているのに。なんでかって言うと、アニメ見て面白くなかったから。

逆に売れている作品の中にも私が好きな作品もありますよ。例えば、文学少女シリーズは熱中するまで読み込みましたし、ゼロの使い魔とある飛空士への恋歌は大好きな作品です。

売れていることは確かに指標の一つかもしれない。売れている=人気があって市場に受け入れられている、わけだから相対的には自分(市場において活動する一つの存在である私)の興味を満たす可能性は高い。
でも、だからといって、売れている作品が自分の興味に完全に合致するわけではないと思いますね。売れているかどうかはあくまで指標の一つに過ぎない。だから小説購入はギャンブル的要素が強い。当たりも外れも楽しむ気分で選ばないと、と一種の割り切りが必要かもしれません。